【新米林業屋×林業に関係のない話】スコールと拓海
『ファイナルファンタジー8』が『PS Now』に登場したのでちょこちょこと遊んでいる。
マンガアプリでは『イニシャルD』を読んでいる。
『 ファイナルファンタジー8 』の主人公スコールと『 イニシャルD 』の主人公藤原拓海には共通点がある。
それは思考を外に出すのが苦手というところ。
何も考えていない訳ではなく、思考をまとめるのが苦手で、かつそれを表に出すのも苦手なのだ。
たまたま同時期にゲームとマンガを進めていたから気付いた共通点。
ストーリーが進むほど、二人の性格や環境がとてもよく似ていると感じる。
先ほども言ったように、「何も考えていないわけではない」というところ、「なぜだか周りから頼りにされる」、「クールに見えて、実は熱いハートを持っている」などなど。
ゲームやマンガでは、キャラクターの心情や思考が『見える』訳だが、もちろんリアルではそんなことは出来ない。
他人の思考は見えないし、聞けない。もし他人の思考が覗けるようになったとしても、それはそれで苦労が増えそうで嫌だ。
『なぜか周りから頼りにされる』というのは、単純にその人に『才能』や『能力』があるからだ。他の誰にもないその才能に心を動かされ、惹きつけられるのだ。
でも当の本人にはその自覚はない。
自覚がないので、他人より秀でたその力を誇示することなく、純粋な気持ちを保つことが出来る。
これがリアルでは難しいところかもしれない。
『才能』や『能力』が認められるようになると、『欲』が生まれてしまう。
『欲』自体が悪い訳ではないが、力を手にすると振り回したくなるのが大半だと思う。
スコールの思考の中で、
「子供の頃は一人では生きていけないのはわかる。でも、一人で生きていける能力が身についてきたのだから、誰にも頼らず生きていたい。なのにどうしてみんな頼ってくるんだ。一人で生きていく方法を教えてくれ…。教えてくれ?そうやって俺も誰かを頼るのか…。」
みたいな(正確な文章ではない)のがあって、ここの思考にとても考えさせられた。
『嫌われる勇気』の中で出てくる『アドラー心理学』では、「人の悩みのほぼすべてが人間関係」と書かれている。
人はその存在が『たった一人』であれば悩みは生まれない。自分と他人がいるから悩みが生まれる。確かにその通り。そこに何もなければそこには何もないのだ。
とか考えているうちに「じゃあなんで生きてるんだっけ?」って思考にたどり着くのが毎度。
自分一人で生きているのならきっとこんなこと考えていなかったかもしれない。
でも僕には子供がいる。その子供たちに幸せな人生を歩んでほしい。
幸せのカタチはそれぞれ違うけど、幸せであればそれでいい。
と、考えてはいるけど、僕自身幸せを理解できていない。
理解するしないの事ではないのかもしれないけど、子供たちの幸せを考える度に「幸せってなんなん?」という思考に閉じ込められる。
僕はこうやってブログを書きながら、自分の思考をまとめたり、表に出す作業をしている。
でも、こういう会話を『直接』誰かとするのは難しい。
スコールと拓海の思考を覗きながら、自分も似てるとこあるなぁって感じた。
もしかすると、というより、人ってみんなそんなもんかも。
日々いっぱい悩んで、考えて、でも表に出すのは難しい。
そういうモヤモヤをそれぞれが抱えて生きている。
一人だとこんなこと考えなくていいけど、考えるってことは「あなたは一人じゃないよ」ってことだ。
『生きる意味』とか『幸せ』って考え出したら宇宙まで思考が飛んでいってしまうけど、楽しくないわけではない。
あーだこーだ考えながら今日も幸せに生きよう。
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