「〇〇先生は怒ったら怖い」、「〇〇ちゃんのママは怒ったら怖い」、そう子ども達が言う。
「怒ったら怖い」について考える。
まずは「怒っても怖くない人」っているのかな?という疑問。
「怒ったら怖い」はよく考えれば当たり前の話だと思ったからだ。
「怒る」にも色んな種類があると思う。
怒鳴る人、手が出る人、理詰めで攻める人、何も言わなくなる人、表情に出る人・出ない人、どのパターンが来ても、「怒られているとき」は怖いと感じる。
では「怒っても怖くない人」というのは、単純に「力が弱い人」をさすのかな?と仮定してみる。
腕力が弱い、権力が弱い、身体が弱い、気が弱い…など。
気が弱い人に怒鳴られても怖くない。
腕力が弱い人に暴力を振るわれても怖くない。
権力が弱い人に脅されても怖くない。
「怒っても怖くない人」というのはそういうことなのかな?
僕が今でも覚えているのは小学生高学年の頃、「いつも優しい〇〇先生が怒っててめっちゃ怖かった。怒らん先生やと思ってた。」みたいなことを母に話したところ、「アンタ、その先生のことナメてるからそう思うんや。人のことナメたらアカンで。」のような回答があった。
先生の見た目とか、普段の空気感のようなものを子どもながらに察知して、「あの先生は怒らない」と勝手に決めつけていたのだろう。
「相手を見下している」とまではいかないにせよ、そういった感覚に近いものがあったのだろう。
いつも優しい。
なにを言っても怒らない。
いつも笑顔。
どんなお願いも聞いてくれる。
そんな「優しくて、怒らない人」に甘えるところから始まり、いつしかその「甘え」は成長していく。
度が過ぎた言動が増えていき、「優しくて、怒らない人」の限界点を超える。
そうして爆発した怒りを見たときに、「怒ったら怖い」に繋がる。
「優しい人」が「怖い人」に変身するくらいに追い詰めているのは「相手に甘えている人」や「相手をナメている人」、「相手を見下している人」なんだろうな。
と、考えているうちに行き着いた。
子どもたちが親や先生、周りの大人達に甘えるのはよくわかる。子どもだからだ。
気をつけないといけないのは「あの人怒らせたら怖い」と言っている大人だ。
「あの人を怒らせる」くらい甘えたり、見下したりしているからそういう発言が出るのかもしれない。
そういう人が近くにいると「何かしらの要求」や「上から目線」を感じることがあるかもしれない。
あくまで仮説ではあるが、用心しておくに越したことはない。
「普段怒らない人」が怒った原因はなにか?
「普段優しい人」が怒った原因を作った人は誰なのか?
「あの人怒ったら怖い」って言っている人は誰なのか?
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