【新米林業屋×読書×思想】苦労や逆境、生きるために必要なものについて

読書・映画
とてお
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どーも、新米林業屋のとておです!

今回のテーマは【生きるために必要なものについて】

ちょっと長めです!(^o^)/

苦労や逆境、生きるために必要なものについて

ゴールデンウィークをとても有意義に過ごしている。

きっと、間違いなく幸せな時間を過ごしているだろう。

#深酒がメイン #やることはやった

ただ、どこかで焦りを感じている。

何に対して焦っているのか、自分自身、わかるようでわからない。

『足るを知る』という言葉を最近よく見かけるようになった。

これはおそらく、今までより自分の中でこの言葉に重要性を感じたからかもしれない。

そして、パソコンの検索履歴には『生きるために必要なもの』という言葉。

『カーボンニュートラル』『SDGs』『温室効果ガス』など、国の政策や、論文を気になったところを次々にチェックしていた。

そこで、『人が生きるために必要なものってなんだろう』という考えに行き着いた。

『衣・食・住』がそろっていれば、人は生きていける…はず。

だけど、それだけでいいのか、自信を持って言い切ることは出来ない。

今回、『生きるために必要なもの』の検索結果でトップに出てきたのがこちらの記事。

〈人生で本当に必要なもの #1〉最低限の衣食住があればいい
「生きる上で必要なものって、実はそんなに多くない」 大自然に囲まれながら、シンプルな暮らしを営んでいると、何度もそう思える。 最近になって「...

四角大輔(よすみだいすけ)さんのこの記事に、『自分が言ってほしかった答え』が大体書いていた。

『必要最低限でいい』と背中を押してくれるような記事の内容に、ただひたすら同意した。

そして、四角大輔さんの本、『人生やらなくていいリスト』を読み始めた。#まだ途中

『子供時代や若い頃に受けた深いトラウマこそが、「その人らしさ」の根幹となっている。おそらく誰もが、大なり小なり、そういった「心の傷」を抱えているものだ。傷ついた数だけ、その人のオリジナリティは深まり、それが強みになる。』

という文章がある。

ここまですらすら読み進めてきたが、この文章を読み、思考の渦に巻き込まれてしまった。

もちろん僕自身、全く傷ついたことがないかと言えばそうではないが、本当に傷ついている人に比べればたいしたことはないと思う。

トラウマになるような経験はなかったように思う。

忘れているだけかもしれないが、忘れられるくらいの経験なら、トラウマではないのだろう。

その点、すごく恵まれていると感じる。

親からの虐待も無ければ、大病を患ったこともない、やりたいことをやりたいように過ごしてこれたのだから、これまでの人生はきっと幸せだったんだろう。

ただ、ずっと欲しかったものがある。それは『ハングリー精神』だ。

僕自身、音楽やお芝居をしていたので、『ハングリー精神』の欠落にずっと悩んでいた。

あらためて、僕のこれまでの人生はとても恵まれていたし、そのことに感謝もしている。

ただし、アーティストとしては決定的に弱かったと思う。

『傷ついた数だけ、その人のオリジナリティは深まり、それが強みになる。』

とあるように、『現状に不満がない状態』が常だった僕には、どうしても深みが足りなかった。

心の傷やトラウマを持つ方には、上記の文章は希望でいっぱいの内容だと思う。

では、『そこまで傷ついたことのない人間』はこの文章に対してどう考えればいいのか。

結論、『いらぬ傷を負わずに済んでいるのだから幸せじゃないか』という答えになると思うのだが、

『傷ついてない人は弱いのか?強みはないのか?』とひねて考えてしまう自分もいる。#ひねくれもの

こうして考えること自体は、必ず自分にプラスになると思っている。

そして、この発信で誰かのプラスになってほしいとも考えている。

平々凡々は幸せである。

『生きるために必要なもの』を『最小限』に絞って、平々凡々に暮らせるのであれば、それはとても幸せなこと。

『もっともっと』と欲しがってばかりいると、目の前にある幸せに気付けずに、むなしい人生になってしまうような気がしている。

『向上心』と『強欲』を履き違えずに、自分の人生に必要なものを選択していく。

平々凡々を貫くには、情報の仕入れ方が重要で、ちょっとでも油断すれば、すぐに『あれが欲しい、これが欲しい』といらぬ欲にまみれてしまう。

欲がある事が自体が悪い訳ではなく、『いらぬ欲』が悪いのだ。

今あるもので十分なのに、必要以上に欲しがってしまうのは、情報の仕入れ方や、情報の処理の仕方が間違っているのだと思う。

〈人生で本当に必要なもの #2〉過剰な情報はいらない
生きるために必要なものとはなにか。 それは、最低限の「衣食住」のこと。 ぼくの人生経験から言い切れるのは、「雨露をしのげる家屋」「四季に対応...

四角大輔さんのこの記事にはそのことについても言及されている。

『地上波や衛星波などの「無料のテレビ」は基本的に観ない。日本の場合、これらは国による免許制となっている上に、その成り立ちが広告ベースのため、国家や大企業の意向を受けやすい性質を持っている。だから、ぼくは昔からあまり信用してこなかった。』

とあるように、僕もテレビはほとんど観なくなった。

企業等からのPRを、自分の意思とは関係なく受けてしまうテレビには、人の欲をそそる効果がある。

そのためにスポンサーになるのだから、当然といえば当然。

でも、その事実はテレビでは言ってくれない。だってそれで稼いでいるのだから。

スポンサーを敵に回せば広告費は入ってこない。

だから、入ってくる情報を自分でコントロールできないテレビは信用がなくなる

自分から情報を取りにいかなければ、いつまでも勉強不足のまま、気付かないうちに搾取されてしまう。#こわいこわい

情報の取捨選択は大事なスキル。ここは磨いていた方が良い。

特別になりたいか

音楽やお芝居をやっていた時は、『特別』になりたかった。

『特別』になるために努力していた。

でも、先ほど書いた通り、僕には『ハングリー精神』が欠如していた。

そして僕は、良くも悪くも『平均点』しか出せないのだ。

今となっては平々凡々は幸せだと理解できるようになったが、『突出した何か』にはやはり憧れがある。

僕の『平均点』を出す能力は、

『何をやってもそこそこ出来るが、“そこそこのレベル”を超えることはない』

と自己分析している。

興味があってもなくても、新しい事に挑戦する際は必死に勉強する。

『そこそこの点数』が取れるまでやる。平均点に届くまでやる。

平均点に届くまでやめないのだから、平均点は必ず出せる。という我ながら無理やりな考え方だ。

しかし、それを『延長』するのが苦手なのだ。

考え方自体に無理があるのかもしれないが、『満点取るまでやめない』と思考を切り替えれば、『突出した何か』に出会えるかもしれない。

だが、『満点』を出すまでに、次の新しい事に興味が湧いてしまったり、平均点に満足してしまうのだ。

最近では、『100点を狙う必要はない』というような情報発信を見聞きすることが多くなった。

完璧を目指し過ぎて、仕事が遅かったり、勉強が嫌いになったり、精神的に参ってしまいやすくなる。

そういった意味では、僕の『平均点』の考え方は間違ってないのかもしれないと自画自賛してみる。#誰も褒めてくれないから

『特別』へのあこがれはもちろん今でもあるが、それとは正反対の気持ちの方が強くなってきている。

それは、時間に対する考え方が変わってきたからだ。

今は子供と過ごす時間がとても大事なのだ。

『特別』になるためには、それと引き換えに何かを失わなければならないと考えている。

一日は24時間しかない。だから出来る事には限界がある。

仲の良い友達と話していた時に出てきたのは、『総理大臣になりたいと思うか?』という話題。

休みも無く働き続けて、良いことをしたとしても叩かれて、ちょっとでも悪いうわさがあれば噛みつかれて、でもそんな国民の為に自らの人生を捧げる。

『総理大臣になりたい』と思う時点で尊敬に値するし、誰がなったとしても総理大臣になったという事実に対しては尊敬できると思う。#政策等の内容については別の話

僕に『総理大臣になれる能力』があったとしてもなりたくない。#心配するな、そんな能力無いから

人生の中の優先順位で、今は自分の家族との時間を大事にしたいと強く感じている。

『特別』になることで大事にしたいと思っていることを捨てなければならないのであれば、特別になんてなりたくない。

やはり、『平々凡々』に戻ってくるのだ。

平々凡々を突出させれば、また何か新しい事に出会えるかもしれない。

しっかりと磨いていこう。

とてお
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というわけで今回はこの辺で!

本の続き読みます!!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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