久しぶりに小説を読む。正確には聴いた。最近は「耳読」にハマっている。
長時間の車移動が多いため、耳からの情報収集が捗るのだ。
ビジネス書や自己啓発、英会話など、多種多様な本を聴き漁っている。
ふと、「小説を聴く」というのはどういう感じなのだろうかと気になった。
アプリのバナーに表示されていた、「正しい欲」と書いて「正欲」というタイトルの小説。
最近映画化されて話題になっている、という情報以外何も知らない状態だった。
タイトルから「いかがわしい系の小説じゃないよな?」と少し躊躇したが、「とりあえず」と聴きはじめてみた。
トータル14時間ほどの音声小説。あっという間だった。
ネタバレが嫌だったので物語を最後まで聴き終えたあと、「正欲」についての情報を集めた。
ここでもストーリーの核心部分については触れないでおく。
小説の特設ページのトップには「自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」と書かれている通り「多様性」が大きなテーマになっている。
また「読む前の自分には戻れない」というのも同ページ内に書かれている。
その言葉の通り、自分の考え方や価値観などはがらりと変わってしまった。
当たり前のように受け取り、また使っていた「多様性」という言葉。
多様性を受け入れるということ。それは「新しい時代」とか「新しい価値観」のように表現されることが少なくないように思う。
そういった表現から「多様性を受け入れる新時代」のように僕自身は受け取っていたのだが、なにも新しくなんてなかった。ずっとずっと昔から「少数派」として存在していたのだ。
多数派の「普通」という価値観によって少数派は「異端」とされ、ずっと隅に追いやられていたのだ。
それが「多様性を受け入れる」という波に乗って、「異端」とされていた価値観をみんなで共有しよう、という流れになった。
しかし、みんながみんな「他人と違う価値観」を共有したいわけではなく、「多様性の時代なんだからお前も秘密を明かせよ!」や「人に言えない悩みがあるなら相談に乗るよ?」というのは全くもってズレているのだ。
そういったことを「正欲」という作品から強く感じた。
「秘密を打ち明けたい」と思う人。
「そっとしておいてほしい」と思う人。
それぞれを大事に考える必要があるのだと思う。
そして、長年に渡って積み重なってきた多数派の「普通」という価値観について。
僕もきっと多数派の「普通」に染まっていると思う。
みんなと違うことをしている人をみれば「普通じゃない」と感じるだろう。
「みんな」って誰?
「普通」って何?
「普通じゃない」とどうなるの?
そんなことを深く考えるきっかけとなった。
子を育てる親として、「普通」とか「普通じゃない」とか「みんながやってる・やってない」とかに対して敏感なのだ。
我が子に対して「真っ直ぐに育ってほしい」と今までは願っていた。
「真っ直ぐって何?」と自分に尋ねてみた。
普通?
みんなと一緒?
健康に気をつけること?
いっぱい勉強すること?
友達をいっぱい作ること?
お金に困らない生活をすること?
…「真っ直ぐ」ってなんだ?
そうして深くに沈んでいく自分。
そんな体験をさせてくれた「正欲」という作品。
「読む前の自分には戻れない」そのキャッチコピー通り、まんまと戻れなくなってしまった。
でも、少なくても僕は、以前より前に進んだように思う。
答えは出ない。そもそも、きっと答えなんてないのだと思う。それでも前進しようと思考を続けることが出来ている。
ならば僕にとって「正欲」という作品はポジティブなのだ。
コメント