【進撃の巨人 最終章。僕の感想は色んな意味で「ようわからん」】

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どうも、とておです。仕事や子育て、人生について僕が考えていることや感じていることなどをお話ししています。

「進撃の巨人」最終回見ました。最終回というか最終章ですかね。今まで10年間あったそうなんですが、僕は例に漏れず一気見しているので、その10年を感じることはあまりなかったんですが。

感想としては、もちろんネタバレないようにしたいと思うんですけど、僕の率直な感想としては、「ようわからん」が一番しっくりくるかなと思っています。

この「ようわからん」というのは、いろんな意味が自分の中であるんですけど。

シンプルに話の流れとかがようわからんっていうのはあるんですけど、これはね、あまりそこがメインじゃないというか、話の流れはざっくりではわかる。でもなんでその考えに至ったのか?とか、なんでこのエンディングになったのか?どうしてこういうストーリーの展開になったのか?大まかには理解はしています。

ようわからんっていうのは、結局、人が生きていく意味、どうして生きるのか?っていうことに対して、「結局ようわからんよな」と。

なんで生きてるんだろう?って僕もよくよく考えるんですけど、改めて生きる意味とか、そういったことを哲学的というか、すごく考えさせられるなと思った最終章でしたね。

結局、それぞれが生きる意味をいろいろ考えて、それぞれが考えた答えをぶつけ合っているように僕は感じたわけなんですが、「ぶつけすぎやな」ってちょっと思ったんですよね。

もうちょっと話し合いの余地というか、そんなものがあったんじゃないかなとかっていうのを考えたりするんですけど、そこがもう同じことの繰り返しなんだろうな。

話し合いでは解決できなくて、力を持って、大きな力で他を制する。こんなことがずっと続いてきて、その大きな力を持った者に対して弱い者が立ち上がって結束して、大きな力に向かっていく。その大きな力を倒そうとしている中で、弱かった者たちがまた力をつけて大きな力となり、もともと強い権力を持っていた者を倒す。そしてもともと弱かった者たちが大きな力を持ち、その大きな力を持った者に対してまた誰かが立ち上がる。

これは別に進撃の巨人の内容というわけじゃなくて、まぁ内容でもあるんですけど、世界って大体そんなもんやなっていう、この繰り返しよねっていうような印象を改めて感じさせられたなと思ったんですよね。

その中で「なんで生きているのか?」、「何のために生まれてきたのか?」、そして「生まれてきた人生の中で何を成すのか?」、「そもそも何かを成さないといけないのか?」、何のために生まれてきたのかっていうよりかは、「何かのために生まれてきたのか?」っていう、別に意味なんかないんじゃないか。

ただ生まれて、ただ生きて、ただ死んでいく。ただそれだけなんじゃないかとかね。

別に「何かのために生まれてきた」とかね、「何かを成さなければいけない」とか、そんなことすらもはやないんじゃないかとかね。そんなことを考えながら、結局、「ようわからんよね」というところに落ち着くと。

この「進撃の巨人」のストーリーは、 一番最初、物語を書き始めた時から、このエンディングに向かっていっていたのかっていうのがちょっと気になるなって思うんですよね。

作者さんの思いっていうのが、一番最初からこのエンディングに向かっていっていたのか。そこら辺はすごく気になるなと思います。

ある程度エンディングまでは想定はしていたんだろうけど、ハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。多分人それぞれ受け取り方で変わるのかなと思うんですけど、最初からこのエンディングに向かっていったのか。

結局、登場人物たちは最初からそういう考えを持っていたのかとかね。そういうのを考えていて。

物語の中のキャラクターたちは、それぞれ自我があるわけなんですけど、でも結局それって、作者さんの思考の域を超えることはないって思ってるんですよ。

結局、作者さんが伝えたいことっていうのが物語になっているわけで、人知を超えた、神の域の物語だと思うんですけど、でもその物語を考えているのは人で、神様ではない。

結局、生きている意味とか、生まれてきた意味とか、人生の意味とか、そういったものっていうのは、人が考えられる範疇なんだろうな、とかも考えたりするわけです。

「人っぽいなー」っていうような印象をこの最終章で感じたんですよね。

結局、答えって別になくて、生まれてきた意味なんか別に答えなんてない。ようわからん。ようわからんけど、せっかく生まれてきたんだから、やりたいことやろうよ。楽しく生きようよ。幸せになるように生きる。

じゃあ幸せってなんだろう?この「幸せってなんだろう?」っていうところへの、一つ僕の中で思考の足掛かりというか、そういうものになったのは、キャッチボール。

「キャッチボールをしているだけでよかった」、みたいなセリフがあるんですけど。「キャッチボールをしているだけで、それだけでよかったんだ」っていうね。これなんですよね、多分ね。

僕がすごく感銘を受けたというか、そうだよなって、そこよねって、人生の意味なんてね。

その「キャッチボールをする」っていうのは、僕の解釈では、『自分の大切な人と何気ない日常を 平々凡々と過ごしていく。退屈かもしれないけど、でもかけがえのない時間。』と解釈しているんですけど、なんかそれに尽きるなと思ったんですよね。

今生きているこの何気ない日常。大好きな家族と一緒にいる時間。それをもう堪能するだけで、本来はよかったんだと。

だけど、自分たちはなぜかそれ以上を望んで、求めて、増えて、いつしか憎しみ合い、いがみ合い、はたまた命のやりとりをするようになって…。いやいや、もうそんなんじゃなくて、ただただ毎日を大切な人とゆっくりと過ごしていくだけでよかったんだ!っていうね。なんかそんな風に感じたんですよね。

うーん。そこの部分が僕の中ではすごく一番響いたというか。本当に考えさせられるなーと。

僕自身も別に多くをね、求めているわけじゃなくて。やっぱり子供たちと家族と奥さんとね、家族と幸せに過ごしていく。それが自分の幸せだし、子供たちが同じように幸せに感じていてくれたらいいなって思うしね。

だからまあ、生きていく意味とか人生の意味とかこれからもきっと考えるんだろうけど、別にそこに答えが欲しいわけじゃなくて、それを考えることによって「今ある幸せ」とか、今自分が何を嬉しいと感じているんだろう?とか何を楽しいと感じているんだろう?何が辛いんだろう?そんなことを見つめ直す。それが大切なのかなって。

そうやってたまに振り返らないと、いつしか欲望まみれになってしまってたりとか、他人に対して嫉妬心を抱いてしまったりとか、たまに自分を振り返ってあげないとネガティブな方向に向かっていくんだろうなっていうのを考えました。

結局、人生の意味とか考えたって、幸せってなんだろうって考えたって、結局答えは「ようわからん」。

だから、大切な人と自分の好きな人と仲良く楽しく暮らしていければそれだけでいいんだ。と感じさせてくれるような素晴らしい作品だったなと思っております。皆さんはどんな感想を抱いたのでしょうか。

今回はこの辺で。最後まで読んでいただいてありがとうございました。本日もご安全に。ほなまた!

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