公園でどんぐり集め。子供たちが学校とか幼稚園で使うということで、どんぐりを集めに一緒に公園に行く。
クリスマス用の飾り付けか何かで使うみたいで大量のどんぐりが必要だそうだ。
公園に着くやいなや、遊具で遊び回る子供たち。
「どんぐり集めようやー」と僕。
「先に遊ぶー」そう言って、どんぐり集めを後回しにする子どもたち。
どんぐりを集めてるといろんな種類があることに気付く。形や大きさが違うものがいっぱい。
ちょっと気になって調べてみると、「どんぐりイラスト図鑑」というページには「日本固有種で22種ある」とのこと。
そのページの中では「植物学的にはブナ科(特にコナラ属)の果実の総称」とも書かれていた。
どんぐりイラスト図鑑のページにはどんぐりのイラストがたくさん描かれている。
丸いもの、細長いもの、一見すると「何が違うんやろ?」と感じる。でも確かにそれぞれに違いがある。
ただ、どんぐりを集める子供たち、僕も含めて、どんぐりの種類にはあまり興味がない。
どんぐり集め自体が楽しい。どんぐりを使って工作をするのが楽しいのだ。
ふと、「どんぐりの背比べ」という言葉を思い出す。
Google先生によると「どんぐりの背比べ」とは、
少しの差であり、本質的にはほとんど差がないこと。どんぐりの大きさはどれもほとんど同じで、背比べをしても甲乙の判定ができないこと。どれもこれも平凡で変わり映えのないこと。特にぬきんでたものがないことのたとえ。とのこと。
ここで思考が深まる。
どんぐりにはいろんな形がある。細長いもの、丸っこいもの、小っちゃいもの、大きいもの。それぞれに特徴がある。
どんぐりの背比べ。少しの差であり本質的にはほとんど差がないことのたとえ。
集めたどんぐり達を見つめながら「本当に?」って思ってしまった。
これはきっと最近読んだ「正欲」っていう小説の影響だ。
「正欲」という小説の中で「多様性」が大きなテーマとなっていた。
小説とどんぐりの背比べが多様性という言葉で繋がったのだ。
どんぐりの世界を人間の視点から見て、大きく括れば確かにほとんど差がない。
でも、どんぐりの世界に入ってみれば、一粒一粒全然違うのだ。
日本だけでも22種類もあって、それぞれの特徴があって、形、大きさが全然違う。
「一般的に」とか「普通」とか、そうやって大きく括ればほとんど差がないのかもしれないけれど、でも「一般的」って誰の視点?誰から見た普通?そんなことを少し考えさせられた。
小説の影響をモロに受けている。
いろんな形のどんぐり見ながら、どんぐりの世界の多様性について考えてみたり、
「どんぐりの背比べ」は人の視点から見れば確かにそうかもしれないけど、でもどんぐりの世界に入ればそれぞれ、各々、違うわけだ。
こうやって一括りにしてしまいがちなのが「人」なんだろうなって思った。そうやって僕も「人」というジャンルを一括りにしてしまう。
「大人はこうじゃなければならない」とか「子供はこうじゃなければならない」とか、大人とか子供で一括りにしてしまいがちだけど、色んな姿かたちの、色んな思考を持った大人や子どもがいる。
ならば、大きく括る、ということをなるべく避けるように意識をしてみよう。
人は、大人は、子どもは、男は、女は…とか。もうこういうのなるべくやめよう。そう改めて思う。
子供たちとのどんぐり集め。
どんぐりの背比べ。
小説。
多様性。
また一つ、自分の中で深く考えるきっかけになる。
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