【言ったもん勝ち。発言をする練習。自衛から他者へ。】

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「言ったもん勝ち」とは、発言や提案をした人が、発言しない人よりも有利であったり得をしたりする、といった意味で用いられる語です。

引用:Weblio辞書

僕は割と発言をする方である。

意識的にそうしている。

「言ったもん勝ち」の説明の通り、発言や提案の数が多いほうが自分の状況を好転させることが多いことに気がついたからだ。

それと同時に「口は災いのもと」というのも理解し、注意している。

口数が増えれば事故の可能性は増えてしまう。

「事故を起こしたくないから…」といって口数を減らしてしまえばその分のチャンスは遠のく。

「自分の意見を押し通したい」、「自分の手柄を増やしたい」、と欲にまみれた発言をしていると、災いとなってかえってくる。

このバランス感覚が非常に難しく、良い調子のときもあれば、つまづくこともある。

自分よがりにならず、他者を想った発言をする。

「言うは易く行うは難し」である。

自分の意見を持ち、チャンスがあれば発言をする。

この「発言をする」という行為には勇気がいる。

実際、何かを発言しようとするときには声が震えることもある。

言葉を発する勇気を得るためには、「情報収集と練習」、といういかにもな回答しかないように思う。

会議に参加することが決まっているのなら、議題になりそうなキーワードや、関連している情報などを調べておく。

調べたことを文字に起こしたり、声に出してみたりする。

自分が調べたことや練習したことについては、声が震えることが無く発言出来るようになる。

まずはそこから整えていく。

声を出す機会を自ら増やして場慣れしていくと、不意に発言を求められるような状況でも割と対応出来るようになる。

とても地道な作業である。

「発言をする練習」というのは自分の身を守ることにも使える。

誰かから責任をなすりつけられそうになったり、貶められるような状況、というのをある程度回避出来るのではないかと考えている。

普段から「あいつはよく発言するヤツ」という印象を持ってもらうことで、「もし言い返されたらどうしよう」という見えないバリアのようなものを作ることが出来る。

僕が他者に対してそう感じることがあるからだ。

「あの人には何を言っても跳ね返されそうだ」という印象は思いの外強い。

反対に、普段から言葉数が少ない方は「あいつには何を言っても反論しないだろう」という印象を与えてしまう可能性が高いと考える。

「ナメられるのがイヤ」とか「下に見られるのがイヤ」という話ではないが、そういう目で見られる可能性は減らしたい。

なるべくフラットな関係性を築いていたい。

そのために、情報収集や声を出す練習もするし、「言葉で解決しようとしない人」が現れたときのために筋トレもする。

自分を守るための努力をする。

守ってほしい、助けてほしい、とお願いしても誰も助けてくれない可能性がある。

だから学ぶ、鍛える。

結果、それが誰かのためになれば最高だと僕は考える。

「誰かのため」にもまずは自分から。

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